国宝松本城天守

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国内に現存する五重六階の天守の中で日本最古であり国宝。

公開日:2021年6月16日

市民が守った松本のシンボル

400年以上の歴史を刻む松本城。

国内には現在、江戸時代以前の天守の建物を残している城は12しかないが、そのうち五重の天守があるのは姫路城と松本城のふたつのみ。
また12ある城のうち の多くは平山城だが、松本城は平城で天守を囲み三重の水堀
に囲まれている。

真っ黒な外観、222本からなる柱、建築美にも優れ、天守・渡櫓(わたりやぐら)、乾小天守(いぬいこてんしゅ)の美しさ、特に天守は壁面の上部を白漆喰、下部は黒漆塗りの下見板で覆われており、漆喰の白と漆塗りの黒の対比が絶妙な美しさを醸し出す。

明治のはじめ、廃藩置県で松本藩がなくなると同時に取り壊しの危機に遭遇したが、市民が地道な活動を繰り広げ崩壊寸前の城を守り現在に至る。

石川数正が入封し城郭の整備に着手

石川数正・康長父子が城と城下町の整備を進め基礎を築いた。江戸時代は松本藩が置かれる。

規模は6万石だが、人口は信濃の国最大の1万5000人が住んでいた。
10万石であった松代(真田家)と現在の長野市で1万人の人口であったことから栄えていたことがわかる。
内陸の交通の要所(北国街道、野麦街道、糸魚川街道、伊那街道)であったことも起因する。

明治以降の地震で一度も崩れない石垣

石垣は自然石を積み上げており、その手法は「野面積(のづらづみ)」という積み方で、未加工の自然石を使用した石垣で、傾斜も緩くなっている。

松本城は平城のため、堀の水を確保するためにも湧水地帯につくられている。
そのため軟弱地盤であったことから丸太を筏の形にならべ根石が沈まないようになっている。

石垣の表面の石面は大きくないが、奥行きのある長い石が使われている。
石垣の角の部分は石の長い方と短い方の向きを互いに組む「算木積(さんぎづみ)」という手法が用いられている。
基礎部分に大変高い技術力が見られるのが特徴。

現存する日本最古の五重天守

天守は「連結複合式天守」。

戦国時代につくられた。「大天守」「乾小天守」「渡櫓」のまとまりと、その「大天守」と江戸時代の泰平の世になってつくられた、「辰巳附櫓」「月見櫓」のまとまりをあわせて「連結複合式天守」と呼び、それぞれの時代の象徴として観ることができる。

また、大天守3階は、2重屋根裏にあたるかつての倉庫部分。222本ある柱の大半は、強度を出すために上下階を貫いている。

本丸への入り口を格調高い「黒色」の名を冠に

「黒門」のうち、「一の門」は、本丸へ入るための重要な入り口。

一の門を入るとかつては本丸御殿があった。

本丸御殿に通じる格調高い正式な門という意味もあり、往時に最高の色調であった黒の名前を冠し「黒門」と呼んだと伝わる。

平成11年に太鼓門を復元

松本城の重要な3つの門、ひとつめが本丸に入る「黒門」、そして「太鼓門」、3つめが現在の千歳橋から松本城に入る場所に「大手門」。

太鼓門は城の入り口を固く守るためにつくられた枡形の門で、天守築造後の文禄4年頃に、石川数正の子息、康長によって築造された。

明治4年、旧物破壊の風潮の中で取り壊されたままになっていたのを、第2次世界大戦後、市民を中心に文化財保護の思想の高まりとともに、国宝松本城保存工事、黒門の復元的整備などを経て平成11年に、およそ128年ぶりに太鼓門が復元された。

Information

住所 松本城管理事務所 〒390-0873 長野県松本市丸の内4番1号 
電話番号 0263-32-2902
営業時間 開場 8:30~17:00(最終入場 16:30)*時期により変動あり

定休日 年末(12月29日〜31日)を除き無休
駐車場 市営松本城大手門駐車場(立体)
市営松本城大手門駐車場
市営開智駐車場(平面)
市営開智大型駐車場
備考

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